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駄菓子は江戸時代から広まった日本特有の文化です。
当時は雑穀類や水飴を練ったものを間食としており、「一文菓子」という名称で親しまれていました。江戸時代の中期から後期にかけて、高価な白砂糖で作られた贅沢品の上菓子が誕生し、地位の高い武士や大名など一部の人から愛されました。一方で、水飴や粗糖・雑穀から作られた駄菓子は、安い価格で提供され、間食として庶民に食べられるようになりました。駄菓子の語源は「ダメな菓子」という意味で上菓子と区別するために生まれた言葉です。
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時代の変遷
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明治・大正時代になると徐々に価格が高騰していきました。価格の高騰に加え、白い砂糖を使ったお菓子や、おまけつきの駄菓子など、私たちが想像するような駄菓子の原点となる形に変化したのもこの時代です。
その後、戦争もあり、戦後の日本は厳しい時代が続きますが、現代と変わらずお菓子は子どもたちの楽しみでした。チョコレートやガム、飴などの駄菓子を作る菓子メーカーが、この頃から徐々に増加していきました。
昭和中期には第1次ベビーブームで子どもが急増したこともあり、需要はさらに高まり駄菓子屋は全盛期を迎えました。昭和をモチーフにしたアニメやドラマなどの作品で見るような駄菓子屋は、まさにこの時代のものです。
時代が平成に変わると、駄菓子の値上げも相次ぎ、さらにスーパーやコンビニのお菓子コーナーで、駄菓子ではないお菓子の普及も進んだことから、駄菓子は低迷してしまいました。
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後世に遺していきたい
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最近では昭和レトロが「かわいい」と注目され、駄菓子もSNSで話題となりました。駄菓子は、機械を使わず職人の手で一つ一つ丁寧に作り上げるため手間がかかります。材料費高騰、後継者不足、様々な問題が重なり、今では掲載している駄菓子製造会社は当社を含め2、3社しか残っていません。日本の文化の一部「駄菓子」を、いつまでも愛していただきたいと思っていますし、後世に遺したいと考えています。
どの世代からも親しんでいただける駄菓子を作り続けて、提供していきます。
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